人生帳尻が合うって本当ですか?幸せは自分の気持ちのありようだ

人生は帳尻合わせ

良いことも悪いことも全ては帳尻合わせであるという。

Yahoo!知恵袋にこんな質問を見かけた。

参考 人生帳尻が合うって本当ですか?発言小町

人生帳尻が合うって本当ですか?と。

これにはちょっと違和感を感じた。

 

いじめられっ子といじめっ子は明確に「幸か不幸か」が分かれると思う。

これらについて本当に帳尻が合うのか検証してみたい。

人生は帳尻合わせ。それをプラスマイナスゼロの法則という。

「人生 帳尻」で調べてみると、検索結果にでてくる発言小町にこのような質問記事が出てくる。

”人生は帳尻合わせでできているって本当ですか?”

 

いいことがずっと起こるわけではない。

悪いこともずっと起こることはない。

良いことが起こった後は悪いことも起こるし、悪いことが起こった後は良いことも起こる。

 

これをどこかの業界では「プラスマイナスゼロの法則」という。

またの名を「ゼロの法則」とも。

 

この名称はどこから広まったのかは調べてもよくわかりませんでした。

まぁ、わかりやすくそれらしい名前を並べただけかも。

中国の「陰陽」という考え方に似ているのかもしれません。

MEMO
陰陽(おんよう)とは

風水でよく使われる言葉。
物事には必ず表と裏というものが存在し、相反する属性ではあるものの、その関係は表裏一体であり、お互い切っても切れない関係であるという思想、気、力のこと。

帳尻合わせの人生ならば、悪いことがずっと起こっても良いの?

幼いころ、なぜかよく聞かされていました。

「良いことが起こった後は悪いことが起こるものよ」って。

 

じゃぁなんだろう。

例えば、いじめっ子がある子をいじめていたとするよ。

いじめられた子にとっていじめは「不幸」だ。

そのまま誰とも会いたくなくなって、引きこもりになって、最後には他人が嫌いになる。

 

部屋から一歩も動けなくなって、親の脛をかじる生活を生涯送ることになる。

これのどこに「幸せ」が訪れるのだろうか?

 

次はいじめていた子に焦点を当てるとする。

 

いじめていた子は他人をいじめることで幸せなのか?

 

幸せの定義ってとっても難しいものだけど、私は「心が満たされた時」だと思う。

それが快楽でもなんでも良いのだ。自分にとって心が満たされれば。

なんとも身勝手で浅はかな考えではあるが。

 

仮にこの子がいじめを行うことで幸せだったとする。

無事に就職して、美人な奥さんと結婚して、何不自由なく幸せにくらしていたとしよう。

よくある話だが、これのどこに「不幸」があるというのだろうか。

人生は帳尻合わせ。あなたはいつだって幸せに向かっている

いじめられっ子はいつまでも不幸で、いじめっ子はいつも幸せだ。

これのどこに帳尻合わせがあるというのか。

と、私もあなたも思う。

 

でも大丈夫。最後まで読んでほしい。

それでも人生は帳尻合わせに向かっていると思うはず。

 

実はこのいじめっ子は幸せに見えるが、この先とても苦労することになる。

 

そもそもいじめていた子は「いじめが悪いこと」であるという一般的な知能を持ち合わせていない。

そんな当たり前のこともわからず行なっているのだから、知能は圧倒的に足りていないことがわかるだろう。

 

こんな記事がある。

参考 実は暴かれていた! 「いじめっ子」は将来ロクな人生を歩まない。hapimama

アメリカの調査でいじめっ子は将来収入が低くて、学歴もなくて、貧しい傾向にあるという。

”お金”や”地位”や”名誉”が「幸せ」につながるかと言われれば怪しいけど、
少なくともそれらが欠けることで「心が満たされる」ということは生涯少なくなるのではないだろうか。

 

では、引きこもりになってしまったいじめられっ子は幸せになれるのだろうか?

 

引きこもるというのは一種の現実逃避

でもそれが悪いこととかではなくて、自分を守るために行動したのだから悪いことなんて一切ない

むしろ状況を良くしようと動いた結果なんだから誇れることだと私は思う。

 

しかし。

 

引きこもることが”不幸”なのかと言われるとそれは違うと思う。

 

だって

「いじめられる」=不幸

なのだとしたら、

「いじめられない」=幸せ

になるからだ。

あなたは引きこもり、いじめられない状況を作れた。
その時点であなたは「幸せ」だということ。

こう考えると、悔しいが人生は帳尻合わせでできていると思えてくる。

幸せになりたい人は同時に不幸も求めてる

いじめられた人が引きこもりになって、奇しくも人と交わらない人生を歩んできたとしよう。

引きこもるという行為が「束の間の休息」だということに気づいた時にはもう遅いかもしれない。

 

そんな人たちはいずれ「いじめっ子」を恨む。そして今の状況でさえも辛いと言う。

今まで「いじめられない」という幸せを十分味わったのに。

ほら、また不幸がやってきた。

 

結局、この「人生は帳尻合わせ」という言葉は人生という大きなテーマにとって真理をついているのかもしれない。

そもそも「幸せ」を感じる人というのは「不幸」というマイナスの面を味わってからでないと感じられないもの。

だから、幸せは不幸の後にやってくる。

だから、不幸は幸せの後にやってくる。

人生は帳尻合わせでも「幸せ」を掴むのも感じるのも自分

どんな状況であれ、自分が置かれている状況は「幸か不幸か」の二択で表現できる。

必ず。

 

1つ言えることは、その状況を幸に変えられるか否か。

幸せだけを感じて生きていくことはできない。

 

10円で生活していた人が、100円で生活できるようになったら幸せだろう。

でも、今度は1000円で過ごしたいと思った。

では100円で過ごしていた幸せな日々は不幸に変わるに違いない。

その人にとっての幸せは「1000円で生活する」ということになったのだから。

 

ここで重要なのは「どの幸せも自分で選択し、自分で感じている」ということである。

今の状況が不幸だというのなら、過去ばっかり見ていないで、自分で幸せになることを見つけなければいけない。

 

あなたは帳尻を合わせている自覚はないだろうが、あなたはあなたの幸せを求めているのだ。

それが結果的に「帳尻合わせ」という結果で現れてくる。

 

幸せがなんなのかって言われれば、あなたの心が満たされることを追求してけばわかるものなのかもしれない。

 

有名な格言にこんなものがある。

「私たちの幸福のほとんどは、

その生まれ持った境遇にあるのではなく、

私たち自身の心のありようで決まるのである。」

 

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