クリスマス休戦とはなにか?人の心は戦時中でも死んでいない。

彼岸花

みなさんは”クリスマス休戦”というお話を知っているだろうか?

”クリスマス休戦”とは第一次世界大戦中に起こった戦争中であるにも関わらず、敵同士が一緒にクリスマスを祝ったというすごい話。

「人が人を殺しあう」ということが日常茶飯事なこの時代でさえ、

人間の「他人を想い合う」という心は失ってないというお話です。

 

しかし、他人を想い合うという心を持っていながらも、敵国同士人を殺めなければいけないという事実。

「戦争中にあった心温まるお話」

では終わらないのが、この出来事なのかもしれないと思った。

クリスマス休戦という第一次世界大戦に起こった奇跡

ある日、youtubeで坂本龍一さんの”戦場のクリスマス”を聞いていた。

その動画のコメント欄に、こんな書き込みがあった。

坂本龍一作「戦場のメリークリスマス」の書き込み

坂本龍一氏の「戦場のメリークリスマス」の書き込み

戦場のキックオフとはクリスマス休戦中に起こった話

戦場のキックオフとはなんだろう

そんな奇妙(こう言っては失礼なのかもしれないが。)な話があるとは知らなかったので、調べてみました。

概要はこんな感じ。

 

クリスマス休戦(クリスマスきゅうせん、英語: Christmas truce, ドイツ語: Weihnachtsfrieden)とは、第一次世界大戦中の1914年12月24日から12月25日にかけて西部戦線各地で生じた一時的な停戦状態である。この日、最前線で対峙していたドイツとイギリスの兵士たちが共にクリスマスを祝ったと伝えられている。

Wikipediaより クリスマス休戦

1914年。

セルビア人 民族統一主義者がオーストリア=ハンガリー帝国のフランツ・フェルディナント大公を殺害したことから第一次世界大戦は始まった。

この戦いはご存知の通り、上記の殺害事件「サラエボ事件」をきっかけに1914年~1918年の4年間続いた。

「クリスマス休戦」とはこの第一次世界大戦の最初の年のクリスマスに起こった出来事。

動画の書き込みにあった「戦場のキックオフ」とはこのクリスマス休戦中に行ったサッカーのことだったのだ。

クリスマス休戦のあらすじ

第一次世界大戦の開戦から5ヶ月が経った12月。

思っていたよりも長期化する戦争に、戦死者の埋葬や塹壕の修復などを行なっていたドイツ軍とイギリス軍の将校らの間では、短期間の停戦を行うのではないかという認識が広まっていた。

 

12月24日のクリスマスの朝、イギリス兵が塹壕のなかからドイツ兵が手を振っているのが確認できた。

するとあろうことか次々に塹壕の中からドイツ兵が出てきた。

 

彼らに戦闘の意思はなかったこと、そして多くの兵士に”短期間の停戦を行うのではないか”という暗黙の了解があったことが要因で、ドイツ兵とイギリス兵の両者はごく自然に休戦したという。

これは軍のトップが決定したことではなく、最前線の彼らによる独断かつ自然に起こった出来事なのだ。

 

しかし、この出来事が起こったのはほんの一部の戦場であり、この日も変わらず戦闘を継続した地域もあるという。

 

それもそのはずで、

敵軍に家族や知人、戦友などを殺された人は当然いるわけだから、クリスマスを一緒に祝うなど考えられないという人も、ましてや一緒の空間にいることも許せない人ももちろんいたのだ。

クリスマス休戦とその後

その日、両軍は食料の受け渡しや戦死者の埋葬を手伝ったり、一緒にサッカーをしたりするなど、まるで敵同士とは思えない交流をしていた。

結局、日没とともに両軍は元どおりの敵同士になったわけだが、1918年に停戦するまでの3年間、

このような同じ景色を見ることは2度となかったという。

 

当時のドイツの最高司令官であるアドルフ・ヒトラーはこのクリスマス休戦について、こういったことは今後あってはならない、と叱責したらしい。

起こるべくして起こったクリスマス休戦という出来事

戦争が好きな人なんて一人もいない。

戦争があって良かったという人は戦争というものを体験していないからなんじゃないかな。

 

「俺たちだって始めたいと思って始めたわけではない」という共通の意識を

その場の人のほとんどが持っていたという証拠が今回の休戦につながったわけだ。

 

現代で戦争が起きたとして、それに参加せざるを得ない私たち。

けれども当事者になれば、上層部の命令とか関係なく、どうにか穏便に済ませられないのだろうかと同じように頭を抱えるだろう。

しかし、クリスマス休戦という”腐っても人である”という出来事があってもなお、この先3年も続く対戦と、2度目の世界大戦が起こってしまったという事実は、つくづく人間というものをわからなくさせる。

宇宙人から見たら「何やっているんだ地球人」と笑われているだろうに。

大衆やお偉いさんがそう望んだからって、”自分としての意見”というものは失いたくないなって思う。

あとがき

改めて戦争は始めてはいけないものなのだと感じた。

”戦争反対!”とかいう陳腐で単純な叫びではない。

 

しかし、戦争がなかったら今の現代のような技術革新はなかったという意見が実はたくさんある。

ティッシュやテレビゲーム、デジタルカメラや携帯電話など。

これらは今や現代に必要不可欠なものとなった。

 

「戦争」という行為があって生まれ、そして私たちの技術力は飛躍的にアップした。

でも私はそうでもないと思う。

 

これらの現代の必需品も「戦争がなかったら生まれてこなかった」ということはないと思うんだ。

今の時代に必要不可欠なものなら、誰かが必ず形にしてくれたはずで、

誰かが望んだなら、それを実現してくれる人は遅かろうと現れたでしょう。

 

明確な根拠はもちろんない。

でも

みんな人間だし、必要”だと思う気持ちがなくならないのならその”実現”は後からついてくるとも思えるんだ。

 

同じように誰かが”戦争を必要”だと思えば、いつかは”実現”してしまうということもなんとなく覚悟しておかなければならないと思うと、あまり思いたくないかもしれない。

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