ベネフィットの後日談

今日は月曜日。

世間では”東京はコロナに勝った!”とか言われていて、

実際どうなんでしょうかとあまり興味が沸かない。

それよりも、明後日控えている仕事の会議の方がよっぽどヤバイ。

実はちょっとやらかしていて、怒られそうなのだ。

これと同じことが文章の中でも起きているような気がした。

人間は何を以てして何かを買おうと思うのか。

それは商品やサービスを自分ごととして感じた時だけである。

世間ではコロナがどうとか言われても、明後日の会議を控えている私には何にも響かないのと同じように。

コロナの話題は私の中ではイマイチ自分ごとに感じられていないのだ。

周りから見れば

「いやいやコロナヤバイでしょ。もっと危機感持ちなよ」

なんて思うかもしれないけど、

私の顔も仕事内容も見たことない人は、明後日の会議がどれだけ重要か知らないからそんなことが言えるのだ。

だとすると、ですよ?

「コロナやばいですよ」という人が書き手で、

「いやいや、明後日の会議の方が大事ですって」という私が読み手で例えられるのではないだろうか。

もし、「コロナに危機感を持ってもらう」というサービスや商品があったら、

”コロナやばいです”というだけでは全く読み手に伝わらない。

なぜならそこにベネフィットはないから。

伝えたい相手の日常にフォーカスできていないから。

私にコロナのヤバさを伝えるなら”私の日常がコロナによってどう変わるのか”を伝えてもらわないと。

じゃあこんなことを言われたらどうだろう?

「コロナは一度かかったら、免疫力が下がって普通の風邪でさえ重症化する」

※これはあくまでも仮定の話なのでなんの根拠もありません。

うーん。それでもまだ普通だ。

風邪レベルなら、やっぱり大したことないなって思ってしまう。

まだベネフィットが日常レベルではない気がする。

ではこれは?

「コロナにかかると一生聴覚、味覚がなくなり、食べ物もおいしく感じなくなるし、補聴器をつけて生活することになる」

※これも先ほどと同様なんの証拠もありません。ただの仮説です。

これはヤバイだろう。

明日の会議も大事だが、より徹底した対策が必要となりそうだ。

と、ここまで落としこむことができてはじめてベネフィットと呼べるのではないだろうか。

今この記事を書いていて思ったけど、

日常をより良いものしたいといいうベネフィットをもう一段階深く考えてみると、

”日常で大切にしていることが失われてしまう”

ということを起点にしてベネフィットを考えたほうがより刺さりそうだ、

人間は何かを得たいという欲求よりも、損をしたくない、失いたくないと思う気持ちの方が強い。

これを心理学では「損失回避の法則」と言うらしい。

文章は人間と同じように奥が深いですね…。

なんて言っている場合じゃない。

 

 

明後日の会議、どうしよう。

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