父・母が亡くなった。私が思う後悔しないために今やるべき2つのこと

身内が亡くなるって自分が思っている以上に大きな影響があると思う。

自暴自棄になる人もいるだろうし、ショックで仕事が手につかない人もいるかもしれない。

私も今年、母を亡くした。
まだまだ若かった。

仕事どころじゃなかったし、仕事に戻っても全然身が入らなかった。

でも、だからこそ私自身の気持ちの整理も込めて、
亡くなる前にしておきたい、知ってほしい2つのことをここで皆さんに共有したいと思った。

だって今思えば、本当に後悔しかないのだから。

本当の意味で立ち直れるのはもっとずっとあとの話。

母のやりたいことってなんだっけ

母は昔から足が悪くて、それでも私が中学に上がる頃までは普通に歩けていた。
ただ高校に入る少し前あたりから、いやもっと前からかもしれないけど、どんどん歩けなくなっていった。

母は10年以上前に脳腫瘍の摘出手術をしており、
術後の副作用を止める「ステロイド系の薬」を長年服用することによって歩けなくなっているのだと知った。

薬を飲んでいないと副作用が起きるため、薬を飲むことは必須なのだが
私の管理も甘く、飲み忘れることが当時は多かった。

母が亡くなったのも飲み忘れの副作用からきていたらしく、
飲み忘れによるものだと知った時は大きく後悔した。
駆けつけた時はもう全てが遅かった。

先月の新盆も終わり、少し経つが今でも思う。

母は残りの人生、何がやりたかったのだろう___。

私たちのこれからを楽しみにしていたのだろうか。

残りの余生、のんびりとどこかに行ったりしたかったのだろうか。

きっとそうだ。この2つはどちらも間違いではない。
でも、今となってはもう聞くこともできない。

自分の気持ちを整理する為にも

母を最後に見送る時、最後までかけていた言葉は

「ごめんね」

だった。

ありがとうよりも申し訳なさの方が断然多かった。

色々行きたかったはずで、もっと話したかったはずだから。
だってもう足が悪くなってからは、外に出ることなんてもう年単位でしていない。

家から一歩も出ない日が3年も4年も続くなんて、きっと耐えられない。
そこに早く気づいてあげられなかったことも悔しかった。

母も諦めていたのかもしれない。
遠慮して言わなかったのかな。

いくら考えたってやっぱり申し訳なさで胸がいっぱいになって、どうしようもできない日が続いて、泣いた。

母が見れなかった景色を

カメラを手にしたのは母が亡くなる半年ほど前だった。

もちろん母が亡くなることなんて考えてもいなかったから、
いろんなところに行って、いろんなものをカメラに納めてこようと意気揚々だった。

だからいろんなところに行ってたくさん撮った。撮りたいものを撮れるだけ。

でもそこには母の写真は一枚もなかった。
恥ずかしさが勝って、レンズを向けたことは一度としてなかったのだ。

遺影の写真が一枚もなくて、あるのは幼いころの私だけ。

せっかく母の見れない世界をカメラに納めたのに、当の本人に一度も見せたことはなかったなぁなんて思い出すと

この高いカメラは一体何のために買って、なんのために写真を撮っていたのかと思ってしまうようになった

そしてそう思うたびに、このガラクタへの嫌悪感が強くなっていった。

 

けれども以前の私のように、見るものすべてをカメラに収めるということは、
自分の生き様のような軌跡のような、

しっかりと生きている。前に進んでいけてるよ」という証になっているのではないかと思うようになっていった。
気がつけば、またカメラにては伸びていた。

ただそう思いたいだけだったのかもしればい。

それでもその思いは、いつしか「母が見れなかった景色を撮り続けて生きたい」という目的に変わった。

自己満足といわれても

こんな話を聞かされて、

「そんなのただの自己満足だ。」

そういう声が聞こえて来そうなのは気のせいではないかもしれない。
でも失ったものが大きい私たちにとって、そうでもしないと乗り越えるのは難しいと思う。

ただこれだけは言いたい。
私たちが前に進む理由を母が亡くなったという言い訳にしてはいないということ。

亡くなった人に対して「あなたのおかげで生きている」という証を見せることが、
私のような後悔ばかりしている人ができる「最後の恩返し」になるということだ。私はそう思う。

だから

亡くなった人に胸を張って「あなたのおかげで生きている」と言えるような生活・努力をすること

これが私の伝えたい一つ目。

もう一つは

今、親に精一杯の感謝の気持ちを伝えること

恥ずかしいからとか、そんなこと思っていないということは誰も思うかもしれないし、
使い古された言葉のようで、ただ聞き流してしまうかもしれない。

こう思って欲しい。
「今、親がいなくなったら私はどう思うのだろうか」

こう考えて少しでも悲しい気持ちになった人がいたら、そのうちに行動するべきだと思う。

身内を亡くした人の気持ちは誰にもわからない

亡くなったことを誰かに話したところで、根本的に何かが変わる訳ではない。
気が晴れたとしても一時的なもの。

その故人と時間を共にしたのは確かに自分なのだから、
友人が頷いて、ただ黙って聞いてくれていたとしても本当に理解してくれたわけではないのだ。

だからこそ、この気持ちには自分自身で完結させなければダメだと思う。
その手伝いとして友人や周りの人に助けを求めることが最も大切になるのではないかと感じた。

・亡くなった人に胸を張って「あなたのおかげで生きている」と言えるような生活・努力をすること
・今、親に精一杯の感謝の気持ちを伝えること

この記事を読んでいただいた人にはこのことを頭の片隅に置いてくれることを願っています。

2 COMMENTS

ぱんのみみ

私も最近父を亡くしました。実家とはわざと疎遠にしていたが、癌がわかって何かとかかわることになったけど、仕方なしにしていた。余命は一年だったのけれど、3ヶ月で逝ってしまった。疎遠になったのは、私なりに理由があったのだけど、後から後から後悔ばかりした。今、これを読んで少しだけど、どんな心持ちで生きていけばいいか参考になったような気がします。残った母とも上手く付き合えるかわからないけど、後悔しないようにしていくつもりです。

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wataanadays

お父様を亡くされたとのことで、この度はご愁傷様でございます。

「何かできることがあったんじゃないか。」
今はそう悔やむばかりかもしれません。
私は今でもそう感じています。
でも、少なからず何かしら心の変化がありました。
ぱんのみみ様もあったのではないでしょうか。
これからはそれを大事にしていけば良いと思います。

相手の心に寄り添える優しいあなたなら、きっとお母様ともどうにかやっていけると思います。
頑張ってください。
また、拙い文章をどうかご容赦ください。

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